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宗教の嫌悪感を考察―アラサ―世代の私の場合

宗教=壺を買わされる

こんなイメージを持っている人が優勢なのかは分からないですが

少なくとも過去の私はそうでした。

 

でも、私も小さい頃はお正月に毎年初詣に行ったし、

今でもお寺のお香の匂いは懐かしく感じます。むしろ心は落ち着いたりします。

これもれっきとした “宗教” なのに、こっちは違和感を感じないのは考えてみると不思議。

宗教というよりは “習慣” として慣れ親しんだからかもしれません。

 

宗教は生活の中で浸透しているものの、

なぜか宗教という「言葉」には別の認識が結び付いてしまっているようでした。

どうしてそうなってしまったんだろうと、

ふと考えてみたことがありました。

 

私が住んでいた田舎にはよくあったのですが、

宗教団体っていろんな所にでかい建物を建てていたり、お金があるところが多かったりします。

色々と事業をやっていたり。

 

お金を稼ぐのは良いのですが、

人々が潜在的に持っている「救い」に対する希望を利用して、

搾取するような、人の弱味につけこんだ都合の良い商売をしているように思えてしまい、

結果、宗教によってむしろ不幸な人が増えているように見えたのです。

 

これが、私が宗教に嫌悪感を持ってしまった理由でした。

 

もちろん、こんなのはごく一部なのですが。。

 

ニュースになるような大きな事件事故の中にも、宗教がバックに絡むものが見られます。

これも嫌悪感を助長させる原因になりました。

 

少し前だと、2014年4月に起こった韓国フェリー転覆事故。

乗客の避難誘導をせず真っ先に脱出をはかった船長によって、多くの若い命が犠牲になりました。

その沈没した船の管理会社は、新興宗教の事業の一つでした。

 

その運営状況は、法定積載量の3倍近い荷物を積載、船も改造していたりと、
人命を乗せる船を管理する会社とは思えない、利益重視のずさんなものでした。

このことをもしはじめから知っていたなら、その船には最初から誰も乗らなかったでしょう。

事業に溺れた結果、分別ができなくて大惨事を招き、

その宗教、その指導者についていった人々も肉的に失敗し、霊的にも永遠に失敗したのです。

 

こうした宗教のごくごく一部で起きた衝撃的な出来事は報道もされますし、強力に脳に残ります。

他の大部分に対する分別、理解、判断ができないまま、

イコール宗教全部危ない→宗教という言葉そのものに嫌悪感、という回路が出来上がってしまったのだな…と思いました。

 

そんな私がよく摂理に来たもんだという感じですが、神様が私の嫌悪感も分かって解いてくださった、あるエピソードがあります。

~~

鄭明析(チョンミョンソク)牧師はただ神様の歴史に関心を持って
「救い」の事業だけをやってこられました。

御子がくださった福音を、舌がすり減るほどに述べ伝えられました。

摂理歴史のはじまりには、核心講義の図表を背中に背負い、片手には鞄一つ、もう片方は映写機を持った、鄭明析牧師の姿がありました。

貧しくて大きな建物もなかったけれど、

御言葉を求めて多くの若者が押し寄せました。

救いの事業に成功したから、神様が祝福してくださって鄭明析牧師の故郷月明洞を「新しい歴史の神様の聖なる聖地」に開発するようになさいました。

~~

必要なもののために事業をしたのではなく、鄭明析牧師は神様に祈って約束し、答えをもらい、「条件」を立てられ辛抱強く待たれました。

月明洞にはたくさんの岩、たくさんの作品が置かれていますが、

神様聖霊様御子が働かれて、見つけるようになさったり、

ずっと安く買えるようにしてくださっったのです。

 

これはほんの一部ではありますが、これを聞いたとき、先生の真実な心がストレートに感じられました。

 

中身を正しく知ることが大事だ。
それは「摂理」に対しても同じことが言えました。

 

人生という船も、誰を船頭にするかで運命が左右されます。

どうせ人生を生きるならば、正しく導く人に付いていきたいものです。悪い道を行って「こんなはずじゃなかった…」と言いながら生きるのは苦しいことです。

 

神様の精神を真実に学んだ人だけが、人生を正しく導くことができます。

 

なぜか?

 

人が潜在的に持つ「救い」に対する希望は

ただ創造主神様によって

お金ではなく神様の愛で成就してくださるからです。

 

宗教に嫌悪感を持つかどうか、その原因は世代にもよっても異なるのかもしれませんが、

本当に良いと思えるものに出会い、私は宗教に対する間違った認識を無くすことができました。

自分の生きる指針にするもの、自分の人生の船頭にすべき人を、

その思想、行い、語る言葉によって、正しく分別しなければならないと

心を翻して向き合う人が増えてくださることを願います。

 

ヨハネによる福音書14章11節

わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
 

投稿者プロフィール

saku
大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
好きなことは食べることとパッケージ裏の成分チェック。食品と、最近は化粧品も見ます☆
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