働く女性が増えたのもあり、保育園を利用される家庭が多くなりました。
日本各地に様々な保育園があります。
遊んだり、食事をしたり、様々な活動を通して、友達とも過ごしていきます。
色んな人と関わる事ができるので、保育園や幼稚園は”小さな社会”とも言われ、初めて聞いた時は「なるほど~!」と思いました。
小さな社会の中で、見かけない日はない出来事があります。
”けんか”です。
覚えたての言葉を並べながら自分たちの思いをぶつけ合ったり、友達とどのように関わっていったら良いのかを学んだり、距離感を把握していきます。
できるなら、無くなって欲しいけれども、、、子ども達のけんか、、、。
私たち保育士は絶対条件として、大事なお子さんを怪我や事故のないよう、降園時には親御さんのもとへ引き渡せるようにと心がけています。
常に安全に一日を過ごせるように願っているので、私の内心は、けんかが起こるとハラハラします。
けんかは、小さな戦争だと思いませんか??
戦争を子ども達に行わせてるのは、心が痛みます。
私は、カッとなっている子ども達の落ち着きを戻しながら仲裁していきます。
【幼児の場合】
○お互いに怪我のないように、まず手が出せない距離まで離す。
○お互いを落ち着かせる。
○まわりの子ども達から離れて、落ち着いて話を聞ける場所で、お互いの話を聞く。例えば、B君がA君にぶたれたと聞いても、A君にはB君をぶった理由があるはずなので、その理由も聞いていく。どのようにしてけんかが起こったのか、紐解きながら話を聞いていく。
子ども達にも、どうしてけんかになってしまったのか考える機会をつくっています。
大人でも、感情的になるとまわりが見えず、表面的な判断になりがちではないでしょうか??
【乳児の場合】
○お互いに怪我などしないように、けんかを止めます。
○仲裁者が代弁者となりながら、”されたら嫌な事”として伝える。「先生だったら、お友達にお砂かけちゃったら、ごめんなさいって言うよ」など、予め答えのような提案を伝える。
○集中力が長くもたないので、手短に話す。核心を伝える。
【”ごめんなさい”は自然に】
最近も、乳児のケンカの仲裁をしました。同じ子どもで一日に2回ありました。
1回目は「ぼくはそんなに悪くないよ」という感じで、私の言葉も届いていないようでした。怒られていると理解もしていなかったのだと思います。話も長くなってしまったし、集中力が持ちそうになかったのもあったし、”ごめんなさい”は私からの強制的(義務的)なものになってしまいそうだったので、「次はこうしようね」と見送りました。
その子はしょっちゅうけんかをしているわけではないのですが、同じ日の夕方、またけんかをしていました。
一回目より話が届く感覚がありました。その子の目からも涙がホロリと落ちて、自ら”ごめんなさい”を言っていました。
その子の成長にびっくりしましたし、内心は「よくやった!頑張ったね!」と喜んでいました。