クマキくんは、1歳でクマパパの仕事で関西から東北へ引っ越して環境の変化がありました。
クマキは、0歳から敏感なタイプで、ベビーカーで散歩してて小学生が「かわいいー」と言って近寄ってくると、大泣きするような子だった。
そして、小学生がただ話しながら隣を通るだけでも大泣きするようになった。
そんな子なので、環境変わって、家に居る時は大丈夫だったが、外に出ると泣く事が多くなった。
そして、引っ越し後1ヶ月で私が妊娠。
出産はクマパパの実家へ行ったが、両親が共働きということもあり、私の体調を気遣ってくれ、クマキは保育所に行くことになった。
産前産後と3ヶ月近く、朝から夕方6時くらいまで保育所へ行った。
クマパパのお母さんが職場に行く前に連れて行ってくれるのだが、いつも別れる時には大泣きしていたという。
帰ってきたら夕食を共に過ごす時間だけは、最大限愛情を注ごうと心を込めて接したのを覚えている。
そして、出産、私は出血が多く、産後は個室で寝たきりの入院となった。日数も伸びた。
やっと、病院から戻って、私は、クマキと離れた期間が長過ぎて、今まで24時間ずっと一緒だったのに、大丈夫だろうかという思いで泣いた。
クマキは、何故泣いてるのか分からないようで驚いた表情をしていた。
産後1ヶ月は、私が赤ちゃんに集中出来るようにと、クマキのお風呂と寝る時も私とは別の部屋で寝かしつけをしてくれた。
いつも面倒見てくれた、クマパパのお父さんにクマキはとてもなついていた。
そして、文句も言わずとても良い子だったと聞いた。
私は、出血が多かったので、数日ベットに寝たきりでトイレも自分で行けない日が続いた。それもあり、退院時はなんとか自分でトイレへ行けるレベルの体力で、病院から帰ってきた。
次男のクマオにとっては、今くらいしか一対一の時間は無いかもという思いもあったので、クマキのお世話はお願いすることにした。
家に帰ったら、私がクマキをクマオ2人を24時間見る生活が始まるのだ。
1歳9ヶ月で兄になったクマキ。
産後1ヶ月過ぎて、実家から家に帰ってからは、次男のクマオは、まだ小さいので、オッパイネンネの繰り返し。
出来るだけ、クマキ中心に過ごすようにした。
クマキは、家に帰ってからは、本当に自我が凄かった。
出産前は、よく寝る育てやすいクマキだった。
人見知りはしても、私やクマパパと居る時は穏やかな子だった。
出産後は、散歩に出たら、手を繋ぐ事は出来ず、ひたすら行きたい所へ行こうとする。
私はクマオを抱っこしているので走るのも大変でなんとかついていくが、車とかぶつかったらどうしようと心配。
さらには、水たまりを見つけてその中に入ってしまう。そして、座り込みバシャバシャ遊んでいる。
時期は2月で冬真っ只中だ。コートも全てが水に濡れている。
さすがに風邪をひくと思い、クマオも前で抱っこしてるんだけど、クマキもその上から抱っこして家まで帰った。
また、クマキは、お風呂に入るのを激しく嫌がった。
毎日が、お風呂に入れる為の戦いだった。
大好きな車を持たせてお風呂で遊ぼうとか言って、入ってくれた事もある。
しかし、基本的には、嫌がるのを、なんとか入れる日々。
なんでだろ。
生まれた時は、あんなにお風呂大好きだったのに。
下の子が生まれると、子供にとっては多大なるストレスになるらしいとは聞いていた。
こんなに感情的になるのかあ。
里帰り中は、ほとんど文句も言わず、ジイジに懐いていたクマキ。
クマキ、頑張ってたんだろうなあ。
そして、3人の子育てをしてみて、改めて、1人目の子育ては、初めてばかりで私もわからないことが多すぎたなと思う。
2人目のクマオも、3人目のクマミも、この2歳位からの時期は、自我が出てくる時期だ。
ただ、クマオの時はクマキの体験があるから、2歳も3歳も反抗期がなかったなあと思えるくらいだった。
クマキの敏感な性格、環境の変化、弟の出産、クママ自身の成長過程など様々なことが重なったんだろうなあ。
次回クマキと子育て3へ続く
投稿者プロフィール
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摂理に出会う前は、結婚も、子育ても絶対無理と思ってた。
でも、神様の愛を知って、今なら、家庭を築いていけるかもと一歩一歩進んできた道。
今も、新しい事にドキドキしながらだけど、家族がとても愛おしくて、結婚して良かったなーと毎日思ってます。
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