おとなになって 母になっても
自分の中には ずっと
小さい頃の 自分がいます。
わざわざ あぶないことして
わざわざ ケガをして
やりたいことしか 見えなくて
思いきりやって 思いきり叱られて(笑)
素直になれず ツンツンして
そのくせ とても 敏感で
だいすきなもの いっぱいで
想像して ワクワクして
泣いて 笑って
めまぐるしく 変化して
小さな頃を 思い出すと
今の私を 刺激してくれる。
今も 時々 思い出す
小学生の時の 2つの思い出。
もしよければ 読んでみてください^^
【1.おじいちゃんとの思い出】
シロが2歳の時 おじいちゃんは
亡くなりました。
いっしょに過ごした時間は短いけど
すごい おじいちゃんっ子で
とてもやさしくて よく遊んでくれて
おじいちゃんの匂いが だいすきでした。
小学2年生の 夏の終業式の日。
家に帰ってすぐ 夏休みの宿題を
学校に忘れたことに気づいて (ガーン)
炎天下の夏空の下 ひとり走って
学校に取りにいく羽目に・・・
ジリジリ暑い 田んぼのあぜ道。
歩いて30分の道のりは
果てしなく感じたけど
なんでか いつもより
足が すごい 軽く感じて
ずっと速く 走ることできて
風を感じて
ほんま きもちよくて
真っ青な空を 見ながら
「もしかして おじいちゃん?」
と 思いました。
空には おじいちゃんのような
あったかいえがおを 感じて
でも おじいちゃんとは
ちょっと ちゃうなぁと 感じて
なんやろなぁと 思いながら
校門につきました。
担任の先生に 注意された後
「それにしても えらい速かったね」
と 言われました。
帰りは いつもの足の重さで
いつもの速さに 戻ってました。
神様のこと なんも知らんかった私は
「なんやったんやろなぁ」と
大きくなっても 思ってました。
【2.おばあちゃんとの思い出】
シロは おばあちゃんと
ずっと一緒に 暮らしていました。
おばあちゃんは 口数が少なくて
息子のお父さんとも 嫁のお母さんとも
孫の私たちとも ほとんど
しゃべること ありませんでした。
おばあちゃんには 1つ
すきなものが ありました。
相撲の番組です。
小学生の時 夕方になると
おばあちゃんといっしょに
テレビ番組を見て 過ごしました。
シロが見たいものばっかり
つけていましたが
相撲の中継の時間だけは
相撲をつけました。
おばあちゃんの目が
その時だけ イキイキするから
うれしかったです。
小学の高学年になると
おばあちゃんは 寝たきりで
ますます 元気がなくなりました。
いつものように 相撲をつけて
「おばあちゃん これ好きやろ?」
と 私が聞いたら
おばあちゃんの顔は 暗いままで
「私はもう 死んだ方がええわ」
と ポツリと つぶやきました。
すごい びっくりしました。
おばあちゃんが 話したことに。
おばあちゃんが そんなこと
思っていたことに。
私は 思いました。
おばあちゃんのこと
なんも 分かってへんかった。
おばあちゃんの声
なんも 聞いてあげてへんかった。
そのことに はじめて 気づきました。
「おばあちゃん そんなん言わんといて。
おばあちゃん だいじな家族やで。
死んだらあかんで 生きててよ。」
もっと早く なんで
言ってあげんかったんやろ。
くやしくて 必死で
声を荒げて 言いました。
おばあちゃんは ちょっと黙って
こう言いました。
「あんた ほんまやさしい子やな」
はじめて そんなこと
言ってもらいました。
あの時 おばあちゃんの声 聞いて
これからは もっと もっと
おしゃべりするんやって
心に 決めたのに
日に日に 会話も少なくなって
おばあちゃんの存在が
どんどん ちいさなって
おばあちゃんのこと
だいじに できんまま
おばあちゃん 死んでしまいました。
もっと やさしく
してあげたかった。
おばあちゃん あの時 なんで
私に 話してくれたんやろう。
ずっと 心に残っています。
心が多感だった あの頃。
小さい頃の思い出の中には
ちいさな ふしぎ
ちいさな 奇跡が
きらきら 見え隠れして
忘れていた たからものが
見つかりそうな 気がする。
小さい頃を 思い出すって
なかなか ステキなことかもしれない。
投稿者プロフィール
- 青森→兵庫在住。16歳の娘のおかあさん。結婚してから摂理に出会いました。いつか主人にも御言葉伝えたいな☆
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