私は、夫のクマパパが大好きだ。
基本的に、いつも必要な存在なのだけれど、神様の愛を感じる時には、
また、より一層感謝も加わり、このような感情になることが多い。
結婚した頃から、このように好きだったかというと、結婚して、子育てとか一緒に家庭を築いていく中で、もっと好きになってきたように思う。
私が結婚する2年前くらい、私は、鬱病になった。
人が怖くて、仕事に行けなくなったのだ。
そのようにハッキリとした症状が出る前から、私は、人の一言に傷ついてずっと気にしてるとか、とても感情の起伏の激しい人だった。
人の感情や言葉を全部そのまま受けてしまう。
特に、近い人の否定的な言葉はそうだったかなと思う。
高校生のある時は、それほど親しいわけでもないクラスメイトに言われた一言がショックで1週間、1カ月とか引きずってたのを覚えている。
神様を知るようになって、変化した事は計り知れない。
私が知らずに作られてきた私を、神様は1つ1つ治して下さっていたと思う。
そして、結婚する前に、私の中のまだ回復していない状況がハッキリと見えるようになった。
私は、そのタイミングで、かなりの調子を崩した。
今までも、肉体が疲労したり、体調を崩したりはあった。
しかし、この時は、信仰の調子を崩した。
神様を信じられなくなった。
完全に、自分の価値を喪失している状況だった。
本当に全てが怖かった。
その当時同じ信仰を持っている先輩2人と3人でルームシェアをしていた。
2人共とても良い方々で、一緒に居るのが私は大好きだったし、いつも楽しかった。
しかし、私に鬱の症状が出てからは、そんな場所からも、走ってこの場を逃げたいという衝動が何度も襲った。
私の状況が、当時の私には、よく分からなかった。
しかし、メンタルの面が詳しい教会の先輩と話す機会があって、私の状況が少し分かった。
仕事もしばらく出来ない。
私は、なんとかしたくて、自分の事を知ろうと先輩に勧められた本を読んだりしていた。
内容は、私の過去と向き合う作業だった。
家族との関係。
私が親を、特に母親をどう思ってきて、私はどうしたかったのか。
そして、私は、今どうしたいのか。
などなど。
その本を、私が、その時読むことは、数ページ読むだけでも、激しく疲れる作業だった。
しかし、毎日が苦しくてたまらなかった。
神様と出会う前、死にたいと思っていた私。
その感情が再び出てきたのだ。
なんで、今さら。。
私は神様に出会って、信仰を持って8年経っていた。
それまで、大変な事が無かったとは言わない。
しかし、私を助けて救ってくれた神様を離れるなんて考えられなかった。
他の何とも変えられない神様。私の救い。私の居場所はここしかない。そう思ってついてきた。
教会の先輩からは、「クママは、本当に変化してきたと思うよ。最後の根本的なものを取り除く作業じゃないかなあ。」というような事を言ってもらった。
そうなんだあ。
と、朦朧としながら、よくわからずその言葉を聞いた。
あれから10年くらいかなあ。
やっと、今はわかる。
そして、その最後の私の取り除く作業は、すぐに出来ることではなかった。
結婚してからも、続けて何度も何度も同じことを繰り返しながら、自分と向き合って、今は、随分無くなったかなあとは思える。
当時、私は、神様に、切実に涙で祈った事がある。
何を祈ったのか、ハッキリとは覚えていないんだけど。
私が死にたい事の根本を神様に正直に話したと思う。
今思うと、神様と出会って、教会の人達と過ごすのも好きで、そのまま楽しく過ごすことも出来たけど、8年間で私は、沢山の愛を受けてとても癒された。
だから、神様は、このタイミングなら、私が耐えられるだろうと、私の中にある、取り除くべきものを取り除く、手術をしようとされたのだろう。
私は、苦しくて、このままでは居られなくて、自分を見つめた。
何が苦しいのか。
結局、それを取り除かなければ、楽しいようでも、時々は顔を出して、私を苦しめてはいた。
落ち込む事も多かった。
でも、それくらいなら、なんとなく生きていけた。
神様は、それでは駄目だ。
【完全になりなさい。】
そう思われたんだ。
ずっと、そう考えてらして、その時行われたんだ。
私は、神様に話した。
〝私は、自分に価値が無いと考えている〟事を。
それは、幼い頃に植え付けられた私の考えかもしれない。
しかし、その考えは根深くて、潜在的な部分に入り込んでいるのではないだろうか。
普段は、顔を出さない。
だから、私自身でさえ気がつかないで生活してる。
気がついたら、私は、自分の考えを置いて、ドンドン走っている事が多い。
ドンドン走ってるのも自分なんだけど。
本当は休みたい自分。
本当は傷ついてる自分。
とても、人には見せられない、弱い、子供の自分。
私は、もう大人なのに。
こんな考え見られたくない。
私は、隠したんだと思う。
子供の頃からそうしてきたのかもしれない。
それを神様には、正直に話した時だった。
私は、自分をどう考えているのか涙ながらに伝えたら、答えて下さった言葉。
「私は、あなたの髪の毛一本から、足の指先まで全部を愛しているよ」と。
当時の絶望的な私にこんな言葉を言えるだろうか。
誰も居ない部屋で、人には話せなくて、ただ祈った。
神様が、私の脳に伝えて答えて下さった。
私は、涙が溢れた。
嬉しいという言葉では表現できない。
救われた。
【こんな私を愛してくれる存在が居る。】
私は、私を認められないのに。
私は、救われた。
そこから、私は、少しずつ回復した。
その後、牧会者と話した時に、「御言葉を聞いて救われる」と悟った。
それまでは、御言葉を聞いてはいたけど、人から受けるものが多かった。
この時から、私は、御言葉をとても大切にするようになった。
御言葉は、神様の言葉。
また、教会の先輩とお話しした時に、神様、キリストは、私をどのように思ってらっしゃるか対話した時には、弱い自分も受け入れて下さるんだなあと感じたり。
この時、私は、大きな手術をしたのだろうか。
当時は、無我夢中でよくわからなかった。
しかし、私の中にある、ずっと手をつけることができなかった心の病気が、取り除かれたのだ。
御言葉を聞く中で、これは、やはり神様が愛でなさった【大手術】であったと実感した。
しかし、そんな状況ではあったので、私は、結婚する事は簡単ではないと思っていた。
結婚して、私が、幸せな家庭を築くことができるだろうか、、、。旦那さんを愛せるだろうか、、。子供を愛せるだろうか、、、。
勿論、大きな手術はした。しかし、それは、今だから、その時の体験で大きく変わったと言えるのであって、当時の私は、またどうなるかわからないという不安があったのだ。
私は、むしろ、この手術をしてなかったら、絶対に結婚しても、毎日辛くて上手くいかなかっただろう。
当時も、私は、神様がわかって手をつけて下さって、私をより完全にしてから結婚するという祝福を下さってるのではないだろうか。とも考えた。
様々考えて、結局、結婚する事を決めたわけだけど、それは良かった。
私は、結婚する時も、心のリハビリ中みたいな感じだった。
私は、自分の本当の気持ち、弱い自分を隠す事を無意識にしてきてた。だから、自分の気持ちを正直に言う事が下手だ。
クマパパは、私と正反対のタイプ。
とても、自分に正直だ。
疲れた時は、疲れたと言う。
私は、判断する事がとても苦手で迷ってるけど、クマパパは、的確に判断するのが得意だ。
最初の頃は、クマパパと結婚する事が恐れ多かった。
お互いの事を色々話して、仲良しではあったけど、内心、私は、こんな凄い人と結婚して私は大丈夫だろうか。と、考えていた。
当時の私には、クマパパが完璧人間みたいに見えたのだ。
だから、緊張もしていた。
結婚して8年が過ぎ、子供も3人。
クマパパは、良い意味で私と近すぎる事なく、良い距離感をとってくれた。
私は、甘え過ぎる事なく、子育てをする中で自分に自信をつける事が出来た。
大変な時には、話を聞いてくれたし、支えてもくれた。
私が、キャパオーバーになって発狂しても、変わる事なく愛してくれた。
結婚した当時から、変わらず感じるのは、クマパパは、神様が下さったプレゼントだと言う事だ。
そして、結婚する前に、神様が、私の中にある苦しめる考えを取り除く手術をして下さった事で、私は、結婚を成功出来ていると思う。
神様、心から感謝します。
投稿者プロフィール
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摂理に出会う前は、結婚も、子育ても絶対無理と思ってた。
でも、神様の愛を知って、今なら、家庭を築いていけるかもと一歩一歩進んできた道。
今も、新しい事にドキドキしながらだけど、家族がとても愛おしくて、結婚して良かったなーと毎日思ってます。
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