1人の男性がいました。
彼には 2人の友人がいます。
1人の友人と写真を撮る時
彼は 笑顔でした。
後で 別の人が写真を見ました。
2人は 仲良さそうに見えました。
もう1人の友人と写真を撮る時
彼は ふつうの顔でした。
後で また別の人が写真を見ました。
あんまり 楽しそうに見えませんでした。
写真1枚で こんなふうに
受ける印象が 変わることがあります。
でも 写真って
連続した時間の中の ほんの1コマ。
もしかしたら 次の瞬間は
笑顔が ふつうの顔になってたり
ふつうの顔が 笑顔になってたかも。
もし ずっと笑顔でも
心の中は 沈んでいたかも。
また ずっとふつうの顔でも
心の中は はしゃいでいたかも。
写真1枚では すべては分からない。
そこで すべてを判断はできない。
ふと そんなことを考えました。
毎日 新聞や テレビで
いろんなニュースが伝えられます。
1つのことを伝えるのにも
得られる情報には 限りがあり
伝える時間と量も 限りがあります。
全体を そっくりそのまま
伝えることは できません。
1つの記事が教えてくれることが
1つの写真が見せてくれることが
すべてではない。
だから 1つだけ見て 1つだけ聞いて
決めつけてしまうことは
とてもこわいことだなって思います。
人はみんな すべてが分からない。
だから 神様に 尋ねます。
神様は 尋ねる人に
御言葉で 心に感動で
ヒントを与えてくれます。
<人>は「角度」によって
大きく見えたり 小さく見えたりもし
素敵で美しく見えたり 普通に見えたりもする。
<人>は前後 左右 上下の「六つの角度」は見てこそ
その存在を ちゃんと見るようになる。
だから「いろいろな角度」から人を見て考え 判断しなさい。
1つだけを見て ぜったい決めつけないで。
自分の良心が 納得いくまで
何度も 何度も 確認してほしい。
尋ねつづける人の 良心に
神様は かならず 答えてくれます。
「神様の答え」が 届くように
自分の考えに ゆとりを持たせて
「よいもの」だけ 受け取れますように。
みんな 「本当のこと」を
ちゃんと 知ることができますように。
<角度>によって「感じ」も違うし
「見えるもの」も違うし 「考えること」も違う。
<正しく見ること> <正しく考えること>だ。
(摂理の御言葉より)
投稿者プロフィール
- 青森→兵庫在住。16歳の娘のおかあさん。結婚してから摂理に出会いました。いつか主人にも御言葉伝えたいな☆
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