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“ルームシェア”と”結婚生活”の違い3―日常生活編

同じ家、同じ部屋で人と暮らすということ。

考えと生活がそれぞれの人間同士が一緒にいるわけですから、

生活する中で心情や行いが合わないことが出てくるのを多々経験してきました。

 

ルームシェアをしてきた時にそういう経験があったので、結婚生活においても同じようなことが起こるだろうと予測はしていました。

しかし結婚してみると自分の予測の甘さに気付かされることに。

ルームメイト(女性)と合わないとしても、こういう人もいるのね、という

「理解できなくはない」

レベルでした。

 

ところが旦那の行動に関しては

「どう頑張っても理解できない」

ことが時折あります。

 

ある時は「この人は何~でこんなことするんだろう??意味が分からん!」と疑問で仕方なくて、ものすごーく考えてしまったことがありました。

私はこうした方が良いと思うけど。。LINE越しで伝えるべきかどうしようか、30分くらい迷いました(´`;)

その中でふと、旧約聖書のヨシヤ王の教訓を思い出すようになりました。

―ヨシヤ王は神様が助けようとされるのに神様がなさろうとする方法が分からず止めてしまい、御心を成すことができず、自身も無念な死を遂げました。

神様に尋ねず、神様の考えが分からずに自分の考えで行ったからです。

(参考聖句:歴代志下35:20-27)

鄭明析牧師が解いてくださったこの聖句を思い出して考えました。

 

自分には意味分からないけど、自分にはない高い考えがあるか、もしくは神様がやらせていることがあるのかもしれない。

自分のすべきことは指摘することでもなく、自分の主観で心配することでもなく、

神様の御心が成されるように祈ることだ。

 

そう考えて行ったら、意味不明な行動により乱された心がすっと落ち着きました。

 

知らず知らずのうちに私、自分の考える通りに旦那が行動してくれることを勝手に望んでいるんだな、、

こう気付いて反省しました。

日常生活でもこんななので、神様に対しても、そのように考えてしまったことがあります。

 

少し前まで私は「お祈り」が大キライでした。頑張ってお祈りしてもちっとも成されない、神様聞いてくれないじゃん、と落胆してしまった経験があるからです。

その時の私は「自分の願う通りに成されること」を期待していたのです。

神様の考えは人間の考えとは異なります。自分中心の主観に縛られていると、別のより良い形で祈りが成就されようとしていても気付かずに落胆するわけです。

「みかん」が食べたいという求めに対して「みかんの木」をプレゼントされたのに分からず、欲しいものをくれない、これじゃない、と拒否するように。

<上>を見れば、分かるんですね。

 

自分の願う通りに、ではなく、より次元の高い神様の御心通りに。それが結局一番良い道です。

御心を中心に祈るようになってからは、祈りが喜びに変わりました。

 

聖三位と心も行いも合って一緒に暮らしていくためには、自分中心の考えを捨てなければならない。最近は日常生活を通しても感じます。
神様が男性と女性を「別の生き物」のように創ってくださったのには意味がありました(笑)

自分の願いごとが成されることばかり期待するのではなく、いつも神様を愛してその心を思い図る、先生のような新婦の生き方に挑戦していきます(^-^)

 

 

# 最近不思議だったこと

「今日は僕が作る!」といって作ってくれた鍋にウインナーが入っていたのですが、

 

ちぎって、入れてありました。

(※適切な画像なし。)

 

個人的にウインナーをちぎる人に初めて出くわしたのでちょっと面白かったです。

野菜はちぎって入れることがよくあるけど、聞いたら野菜はちゃんと包丁で切ったと。なぜウインナーは一緒に切らなかったのか…wと、どうでもいいことをすごく考えてしまいました。

美味しいのに変わりはないけど、これは私だけの常識なのか?

男性はみんなウインナーをちぎるんでしょうか。

 
“ルームシェア”と”結婚生活”の違いシリーズ・バックナンバーはこちら♪

投稿者プロフィール

saku
大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
好きなことは食べることとパッケージ裏の成分チェック。食品と、最近は化粧品も見ます☆
サイト管理人です。リクエスト等お気軽にどうぞ(^-^)
@sukusukunokumo

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