私は摂理に来る前に2回、
「自分がいなくなる祈り」
をしたことがある。
どんな祈りかというと、
1回目は、中学生の時。
成績、容姿、才能…何かと人と比べては自分の現状に落胆し、
「自分なんていなくなればいいのに!」
と思っていたのである。
いわゆる「中二病」。
2回目は、大学受験の時。
周りは推薦で進路が決まっていく中で将来が見えない不安に苛まれ、
「朝起きたら世界ごと消えてたらいいのに!もう何もかも終わってしまえ~~!!」
受験期終盤ストレス充満、人生で最も体重が増えた時期でもあった(- -;)
そんな青春時代を過ごす中で摂理に出会ったのだが、
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の精神を前にすると、あまりに身勝手で次元の低い過去の考えに、心底情けなく恥ずかしくなる(*_*)
自分を消し去りたいと言いながらも、
結局はいつも自分を慰めるためだったし、
自分の体面を守るためだったし、
自分の心を楽にしたかっただけだったし、
考えているのは自分のことばっかり。
内心は自分を世界一保護したいくせに生意気な口を叩いていた
ということに、私は気付いてしまったのであった。
人がどのような精神考えで生きているか。
その実相は、生活、生き方を見れば明らかだ。
鄭明析牧師の実の弟、ポンソク牧師がよく、鄭牧師についてこう証される。
「先生はいつも、自分が抜けていた。」
誰もが世界一守りたい、表したい「自分」というものが、
鄭明析牧師には、無いのである。
自分を捨てて空になったその心の器には、御子の精神が隙なく詰まっていらっしゃる。
修道生活をなさる前、故郷で教会学校の教師をなさっている時から、鄭明析牧師はイエス様の生き方をされていたという。
クリスマスにプレゼントをあげるときも、
何かをしてあげるときも、
「私を通してイエス様がしてくださっているよ。」
自分が栄光を受けることをなさらず、いつも主を表す生き方をなさった。
聖三位を誰よりも正しく教える鄭明析牧師の生活は、聖書そのものだった。
しかしその生き方は、人の荷を背負ってあげる十字架の生き方。
神様の御心を行う中で身が引き裂かれるほど大変なことがあったとしても
「私は幸せです。
天の体になって生きることができて幸せで、
救いの働きができて幸せで、
新婦を天の前に立てることができて幸せなので
これくらい何でもないです。
次は何をしましょうか?
すべてして差し上げます。」
愛する主イエス様のために自分の体よりも、イエス様が自分の姿に悲しまないかと、
大丈夫だと話される方。
その場所にいながら、
個人のため、民族のため、世界のため
1日も欠かさず祈ってくださっている方。
このように生きられる人が他にいるだろうか。
自分が痛くても辛くても飢えても構わず、愛ゆえに人類を救い出す英雄の生き方をされている方が、私たちの先生だ。
鄭明析牧師が行かれる苦難の道は、罪の代価ではなく、ただ神様の御心を広げるための道なのだ。
まるで、全人類の罪を背負い十字架で亡くなったイエス・キリストが行かれた道のように。
そのような先生の心情を受けられるように、私は再び「自分がいなくなる祈り」をするようになった。
自分の習慣、主観を完全に捨てて、
神様を完全に迎えることができるように。
自分の人格を否定することではなく、自分を創られた神様に委ねて、個性の通りに最高に使っていただくための祈り、
足りないけど、少しでも先生の生に近づくことができるように求める祈りだ。
人生の路頭に迷っていた私が、本当にそのように生きたいと思える人生に出会ったから、大変なことがあっても感謝しかない。
先生に助けてもらったから、
先生が一番大変なとき、今度は私が先生の力になって差し上げたい。
神様の仕事、主の仕事を助けて差し上げたい。
自分のことばかり考える生から抜け出し、
先生のような清く輝く美しい生き方に、挑戦していきます。
鄭明析牧師にかけられている無念な疑いが晴れ、その行かれる道が明るい道となるように祈ります。
(2017年の記事をリライトしました。)
投稿者プロフィール
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大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
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