「宗教2世って、親から信仰を
押し付けられているんじゃない?」
摂理(キリスト教福音宣教会)の
メンバーとして子育てをしてきた私にとって
この質問は、考えさせられます。
私は、娘が2歳のころに
摂理の御言葉に出会い
それから17年間、信仰を持って
子育てをしてきました。
現在、娘は高校生。
でも、娘がいつも私と同じように
信仰してきたわけではありません。
小学生のころは聖書を学んだり
祈ったりすることもありました。
けれど、中学生になった娘は
自分で考えて「今は続けない」
と決めました。
私は、娘を説得して信仰を続けさせることはしませんでした。
なぜでしょうか。
「宗教2世だから
親が信仰を押し付けているのでは?」
そう思う方にも、今まさに
子育てや親子関係で悩んでいる方にも
17年間子育てしてきた母親として
私の本音を書いてみたいと思います。
結論︰私は「娘に信仰させること」より「娘自身が考えて選べること」を大切にしたい
私自身は、摂理で聖書を学び
神様を信じて生きています。
だから、娘にも
「神様のことを知ってほしい」
と、思う気持ちはあります。
これは正直な気持ちです。
でも
「親が信じているから
あなたも信じなさい」
とは思っていません。
信仰は
本人の心で決めるもの
だと思っているからです。
娘が「聖書を学びたい」
と思えば、一緒に学ぶ。
「今はやりたくない」と思えば
その気持ちも受け止める。
親としてできることは
子どもの人生を
全部決めることではなく
子どもを信じて、必要なときに
話を聞き、祈ること。
私は、17年間の子育てを通して
少しずつそう思うようになりました。
娘は自分で「やめる」と決めた
娘のよつばは
人がやっていても、人から勧められても
「自分に合っているのかどうか」
考えて、行動しているように見えます。
聖書を学ぶこと、お祈りすることも
小学生まで楽しくやっていたけれど
中学生になると、続けることか
「楽しい」よりも、「難しい」になって
自分で決めて、やめました。
説得するより大事なこと
母の私は、なぜ「信仰を続けよう」と
子どもに説得しなかったのか?
心の中で、神様に相談して
この御言葉が心に浮かんだからです。
「どんなこと、どんな人にも、時がある」
「無理やりでなく、楽しく、自らやりたくなるように育てなさい」
同じ摂理のお母さんが
かけてくれた言葉を、思い出しました。
「親が子どものためにできることは『子どもを 信じてあげること』と『子どものために 祈ってあげること』、この2つだけだって思うんだ」
言葉たちのおかげで
「ゆっくり、娘を育てよう
ありのままの娘を、愛そう」
と思いました。
「押し付けない」って、簡単なことではない
私が、摂理で信仰をもつ前
子育てに、とても悩んでいました。
母の私が、子どもに
間違ったことを教えないように
間違ったものを与えないように
育児書に書かれた「こうすべき」を
忠実に、必死に守ろうと
幼い子どもに、押し付けていました。
子どもの反応は、親に何かを教えてくれる
そんな母の行ないに
子どもは、とても正直に
反応してくれます。
子どもに合わないことは
だまって、笑顔がなくなって
顔を真っ赤にして、泣くことも…
「ちゃんとやっているのに、なんで?」
私も、泣きそうでした。
摂理に出会い、聖書を学び
「神様の愛し方」を知るようになって
自分の目から、ウロコが落ちて
「ここで、教えてもらおう」
と、心に決めました。
順調に行くことは、まあなくて (-_-;)
また、子どもを悲しませては
自分も落ちるの、くり返し・・・
子どもの表情、子どもの反応が
「神様の心と ズレてないか」
私に教えてくれて
私が、神様に尋ねるように
助けてくれています。
自分の考えを、押し付けたら
子も、親も、つらくなること
神様に教えてもらって
神様の心で、接する時
子も、親も、幸せでいられること
嫌というほど、経験してきました。
だから、子どもの反応は、とても大事
今も、これからも、同じです^^
神様がまず教えてくれたこと
「子育ての悩みをなんとかしたい!」
と、必死になっていた私に
神様は、まず何を教えてくれたのか?
「私は、あなたを本当に愛している」
「自分が、神様に愛されている」
この事実を、教えてくださいました。
神様は、私を本当に愛して
「私ができないこと」ではなく
「私ががんばって生きてきたこと」を
見てくださいました。
やりたくても、うまくできなくて
焦り、自分を責める私に
「うまくできることより大事なことは
<一緒にやること>だよ。
一緒にやっているなら、ゆっくりでも
うまくやっていることだよ」
そう、教えてくれました。
ありのままの自分を
受け入れてもらい、許してもらい
愛してもらえることが
こんなに嬉しいなんて
こんなに涙が出るなんて
本当に、知りませんでした。
だから私も
神様が、自分にしてくれたように
「ありのままの子ども」を愛したい。
大きな目で、大きな愛で
神様と一緒に、育ててあげたい
そのように愛されることで
人は、心を開いていき
「自ら知りたい、自らやりたい」
と思えるようになるんだと
自分を通しても、実感します。
信仰をやめた娘と、普段どんな話をしているの?
もっぱら、高校生活の話で、
部活内での人間関係のいざこざ
クラスの中の気になる男子の話
毎日いろいろな話をしてくれます。
「高校生って、こんなことを
考えているんだなぁ」
と、母親の私も
楽しみながら聞いています。
娘が
信仰を続けているかどうかとは
関係なく
「今日、どんなことがあった?」
と話せる親子関係であること。
私は、それを
大切にしたいと思っています。
信仰をやめた娘の心に、神様はいるの?
これも、娘について考えるとき
私には分からない、疑問の一つです。
娘の心の中を
私が勝手に決めることはできません。
ただ、ある日の娘との会話で
私は少し驚いたことがありました。
部活の先生の、ある部員に対する
理不尽な態度と言葉に
娘は、怒りがおさまらない様子でした。
「あんなに、うまく演奏できて
あんなに才能あるのに
なんでこんなサイテーなんやろ。
『神様は、人に二物を与えない』
ってことなんかな」
娘の、この一言に反応しました。
「天は二物を与えず」
天は一人の人間にいくつもの才能を与えることはない。
また、ひとつの才能に秀でている者は、往々にして他に欠点があるものだ。
(出典:コトバンクより)
本来「天は二物を与えず」だけど
娘は「神様は二物を与えず」と話した
それが、すごくうれしかったです。
娘は、自分から
「神様」と話すことがなく
私が「神様」と話す言葉にも
普段、いい反応は見せません。
でも、時々、ほんの一瞬
「神様」に反応する瞬間があります。
私は、ゆっくり話しました。
「神様は、どんな人にも
最初から二物を与えなかったんだよ
今は、二物をもっているように見える
すごい人たちも
最初からすごかったわけじゃない。
自分が行なった分、つくられて
一物が二物になるように
神様は、人をつくってくれたんだよ。
自分次第なんだね。
せっかくなら、神様と一緒に
自分をステキにつくりたいね」
普段なら、聞いてくれない言葉でも
その時は
娘は、まっすぐな目で
「ホント そうだよね」
と、うなずいてくれました。
そのとき娘が
自分から話したことを
大切にして、会話をしたいです。
私は、そういう小さな瞬間こそ
大事なのではないかと思っています。
「対話をしてこそ よく通じる」
大事な人と、言葉を交わすこと
大事な人の、心を受けること
大切にして生きていきたいです。
Q&A|摂理の宗教2世と親子関係について
Q1. 摂理の宗教2世は、親から信仰を押し付けられているの?
これは、一言では答えられないと思います。
宗教2世といっても、宗教そのもの、家庭環境、親子関係、本人の感じ方、それぞれ違います。
私自身の家庭について言えば、娘が信仰を続けることを親が強制する、という子育てはしてきませんでした。
キリスト教福音宣教会の御言葉では
・相手の心に合わせること
・絶対に無理やりしないこと
・時間をかけて、見守ること
が「大切な愛だ」と教えてくれます。
だから私は、娘自身の考えを、最優先にしたいと願っています。
同時に、ある宗教団体では、宗教2世本人が「押し付けられている」と感じているケースがあることも、無視してはいけないと思います。
大切なのは、「宗教2世」という言葉だけで本人や家庭を決めつけず、その人が実際に何を感じ、どのような親子関係を築いているのか、ひとりひとりを見ていただきたいと思います。
Q2. 親が信仰しているのに、子どもが信仰しなかったら、親はどうする?
私は、まず子どもの気持ちを聞きたいです。
「どうしてやめるの?」
と問い詰めるのではなく
「今はそう思っているんだね」
と受け止めてあげたいです。
本人が正直な気持ちを話してくれることが、親として、何よりうれしいからです。
そして、必要なときには自分の考えも話したいです。
親子でも、互いにひとりの人。互いの違いを受け入れて、尊重して生きていきたいです。
Q3. 信仰を子どもに伝えることと、押し付けることの違いは?
私も、娘との会話で、よく考えることがあります。
「神様ってこういう方だよ」
「私はこういうふうに感じたよ」
と自分の経験を話すことと
「あなたもこうしなさい」
「こうした方が絶対いいよ」
と子どもの選択を奪うことは、違うと感じます。
私は、伝えることはしても、最後にどう受け取るかは本人に委ねたい。
そう意識して、いい過ぎないようにブレーキをかけています(笑)
Q4. 子どもが信仰をやめたら、親はショックじゃないの?
正直に言えば、やはりショックでした。
私は娘に「神様を知ってほしい」と願っている母親です。
だから、心の中で「またいつか、自分から神様を知りたいと思う時が来たらいいな」と思い続けています。
そのいつかは、いつかは分からない。
でも、きっと、必ず来る。
そう思って、娘の今の選択を尊重して、これからも娘を見守り、応援していきたいです。
Q5. 信仰よりも親子関係を優先しているの?
私は、「信仰か親子関係か」という二択ではないと思っています。
私が信仰から学んだ大切なことの一つは「神様を愛し、自分を愛し、相手を愛すること」です。
まずは、自分のことを心から愛する神様を知ること。
その神様を、自分が信じ、愛すること。
これが「信仰」です。
そうすることで
神様が自分を愛する愛が伝わり
自分を愛せるようになる。
そして、自分を愛するように
相手のことも愛される神様を知り
その神様の心で
相手も愛せるようになる。
信仰が、自分を大切にし、人間関係、親子関係も大切にすることにつながるんだと思います。
信仰をとおして
「娘を自分の思い通りにしたい」
という自分の思いに気づき、反省しながら
「娘を一人の人として愛したい」
という思いを育んでいます。
17年間子育てして、今いちばん大切だと思うこと
17年間、子育てしてきました。
振り返ると、私はずっと
「よい母親にならなければ」
と思っていたように思います。
間違えないように。
子どもに良いものを与えられるように。
正しく育てられるように。
でも、子育てをして分かったことがあります。
親も、そんなに完璧じゃなくていい。
子どもも
親の思い通りにならなくていい。
親子で一緒に悩みながら
その時々で考えていけばいい。
私は、神様から
「自分が愛されている」ことを
教えてもらったことで
少しずつ
「ありのままの自分」を
受け入れられるようになりました。
だから今度は
私も娘に、同じような愛を向けたい。
「こうなってほしい」
という願いだけではなく
「あなたはあなたでいい」
という気持ちで
娘の成長を見守りたいと思っています。
「信仰をさせる」より
「自分から知りたい」と思える関係を
信仰は、誰かに無理やり
持たせるものではないと思います。
親ができることは
子どもを信じること
子どものために祈ること
そして
子どもが話したいと思ったときに
ちゃんと話を聞くこと
私は、この17年間の子育てを通して
そう思うようになりました。
娘が今後
どんな人生を選ぶのかは分かりません。
信仰についても、これから
どんなふうに考えていくのか
分かりません。
でも
それでいいと思っています。
親である私ができるのは
娘の人生を決めることではなく
娘が自分の人生を
自分で選んでいけるように
そばにいること。
そして私は、神様に
娘のことを祈りながら
今日も
一緒に笑って
一緒に悩んでいきたいです。
「宗教2世だから、親から信仰を押し付けられているの?」
もし、そんな疑問を持って
この記事を読んでくださった方がいたら
私の答えは
「少なくとも私の家庭では、娘に信仰を押し付けることより、娘自身の心と選択を大切にしてきました」
です。
親子の形も、信仰との向き合い方も
一つではありません。
だからこそ、これからも
娘との「対話」を大切にして
いきたいと思います。
公開:2024年7月30日
最終更新:2026年8月25日
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投稿者プロフィール
- 青森→兵庫在住。17歳の娘のおかあさん。結婚してから摂理に出会いました。いつか主人にも御言葉伝えたいな☆
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