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摂理の宗教2世は、親から信仰を押し付けられているの?

娘が2歳の時に 摂理の御言葉に出会って

それから15年 信仰生活をしているシロです^^

 

娘・よつばは もう高校生です。

楽しいことが大好きで

自分のことは 自分が考えて決める

しっかりした子に 成長しました。

 

 

子どもが自分で決めたこと

 

娘のよつばは

人がやっていても 人から勧められても

自分に合っているのかどうか

考えて 行動しているように見えます。

 

聖書を学ぶこと お祈りすることも

小学生まで 楽しくやっていたけれど

 

中学生になると 続けることが

「楽しい」よりも 「難しい」になって

自分で決めて やめました

 

 

説得するより 大事なこと

 

母の私は なぜ「信仰を続けよう」と

子どもに 説得しなかったのか?

 

心の中で 神様に 相談して

この御言葉が 心に浮かんだからです。

 

どんなこと どんな人にも 時がある

無理やりでなく 楽しく 

 自らやりたくなるように 育てなさい」

 

同じ 摂理のお母さんが

かけてくれた言葉を 思い出しました。

 

「親が 子どものためにできることは

子どもを 信じてあげること』と

子どものために 祈ってあげること

この2つだけだって 思うんだ。」

 

言葉たちのおかげで

ゆっくり よつばを 育てよう

 ありのままの よつばを 愛そう

と 思いました。

 

自分の良心に 違和感を感じず

「これが正解だ」と 感じました。

 

 

子どもの反応が 教えてくれる

 

私が 摂理で 信仰をもつ前

子育てに とても悩んでいました。

 

母の私が 子どもに

間違ったこと 教えないように

間違ったもの 与えないように

 

育児書に書かれた「こうすべき」を

忠実に 必死に 守ろうと

幼い子どもに 押し付けていました。

 

そんな母の 行ないに

子どもは とても正直に

反応してくれます

 

子どもに合わないことは

だまって 笑顔がなくなって

顔を真っ赤にして 泣くことも…

 

ちゃんとやっているのに なんで?

私も 泣きそうでした。

 

摂理に出会い 聖書を学び

「神様の愛し方」を知るようになって

 

自分の目から ウロコが落ちて

ここで 教えてもらおう

と 心に決めました。

 

順調に行くことは まあなくて (-_-;)

また 子どもを 悲しませては

自分も落ちるの くり返し・・・

 

子どもの表情 子どもの反応が

神様の心と ズレてないか

私に 教えてくれて

 

私が 神様に尋ねるように

助けてくれています。

 

 

自分の考えを 押し付けたら

子も 親も つらくなること

 

神様に教えてもらって

神様の心で 接する

子も 親も 幸せでいられること

 

嫌というほど 経験してきました。

 

だから 子どもの反応は とても大事

今も これからも 同じです^^

 

 

 

神様が まず教えてくれたこと

 

「子育ての悩みを なんとかしたい!」

と 必死なっていた私に

神様は まず 何を教えてくれたのか?

 

私は あなたを 本当に愛している

 

自分が 神様に 愛されている

この事実を 教えてくださいました。

 

神様は 私を 本当に愛して

「私ができないこと」ではなく

私ががんばって生きてきたこと」を

見てくださいました。

 

 

やりたくても うまくできなくて

焦り 自分を責める 私に

 

うまくできることより 大事なことは

 <一緒にやること>だよ。

 

 一緒にやっているなら ゆっくりでも

 うまくやっていることだよ

 

そう 教えてくれました。

 

ありのままの自分

受け入れてもらい 許してもらい

愛してもらえることが

 

こんなに 嬉しいなんて

こんなに 涙が出るなんて

本当に 知りませんでした。

 

 

だから 私も

神様が 自分に してくれたように

ありのままの子ども」を 愛したい。

 

大きな目で 大きな愛で

神様と 一緒に 育ててあげたい。

 

そのように 愛されることで

人は 心を開いていき

「自ら知りたい 自らやりたい」

と思えるようになるんだと

自分を通しても 実感します。

 

 

信仰をやめた娘との日常会話

 

もっぱら 高校生活の話で

部活内での人間関係のいざこざ

クラスの中の気になる男子の話

毎日 いろいろ 話してくれて

 

「いろんな経験してるんやなぁ」

と しみじみ感じています。

 

母も 結構 楽しんでいます^^

 

 

 

信仰をやめても 神様は心にいる

 

ある日 娘が 怒っていました。

 

部活の先生の ある部員に対する

理不尽な態度と 言葉に

怒りが おさまらない様子でした。

 

「あんなに いい演奏できて

あんなに 才能あるのに

なんで こんなサイテーなんやろ。

 

『神様は 人に二物を与えない』

ってことなんかな」

 

娘の この一言に 反応しました。

 

天は二物を与えず

天は一人の人間にいくつもの才能を与えることはない。

また、ひとつの才能に秀でている者は、往々にして他に欠点があるものだ。

(出典:コトバンクより)

 

 

本来は 「天は二物を与えず」だけど

娘は 「神様は二物を与えず」と話した

 

その事実が すごくうれしかったです。

 

 

娘は 自分から

「神様」と話すことがなく

 

私が「神様」と話す言葉にも

普段 いい反応は見せません。

 

でも 時々 ほんの一瞬

「神様」に反応する瞬間があって

 

「今が その瞬間だ」と感じました。

 

 

この御言葉が 思い浮かびました。

「月明洞も つくるまでは

原始人の住む場所だと言われたが

神様の構想どおりに 数十年間もがいて

天国のようにつくっておいたら

『ここは天国だ』と言う。

 

自分も このようにつくって

  はじめて『天国人』になる

 

神様が伝える御言葉を 聞いて

守って つくるべきだ

(2024年7月28日主日「分かって信じて生きなさい」より)

 

私は ゆっくり 話しました。

 

「神様は どんな人にも

最初から 二物を与えなかったんだよ

 

今は 二物をもっているように見える

すごい人たちも

最初から すごかったわけじゃない。

 

自分が行なった分 つくられて

一物が 二物になるように

神様は 人を つくってくれたんだよ。

 

一物を 二物 三物 四物にするのも

一物を 台無しにてしまうのも

自分次第なんだよね

 

せっかくなら 神様と一緒に

自分を ステキに つくりたいよね

 

 

普段なら 聞いてくれない言葉でも

 

神様に反応する その一瞬は

一筋の光のように 道がひらけて

 

娘は まっすぐな目で

ホント そうだよね

と うなずいてくれました。

 

 

信仰をやめても 真実なもの

ちゃんと 心に 残っている

 

「神様」に反応する心

ちゃんと 生きている

 

 

無理やりでなく 押し付けず

自ら 反応をみせる時

そっと 神様の言葉を

かけてあげたい。

 

 

対話をしてこそ よく通じる

 

神様との対話 子どもとの対話

対話って だいじですね

 

大事な人と 言葉を交わすこと

大事な人の 心を受けること

大切にして 生きていきたいです^^

 

 

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投稿者プロフィール

シロ
青森→兵庫在住。16歳の娘のおかあさん。結婚してから摂理に出会いました。いつか主人にも御言葉伝えたいな☆

「こんな夢を見た。」高校生よつばの夢十夜

今日も怒ってしまった

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