menu

摂理は「進路の自由を制限するところ」なのか②

摂理の「してはいけない」「しなさい」の御言葉は<神様の法>であるが

鄭明析牧師の表現をお借りするならば「羊を守る柵」と同じだ。

o0450059911972346971

羊が柵を越えたらどうなるだろうか。野獣やオオカミに追いかけられ、食い殺されるだろう。

<存在の法>というラインを越えたら苦痛を受けるから

神様は「法通りに生きてこそ肉も霊も栄える」とおっしゃるのだ。

 

だからといって、御言葉に従う人たちが囚人のごとくギュウギュウに制限されているのかというと、それも間違い。

柵の中の羊は自由に寝たり食べたりしているように、

自分を守ってくれる柵の中で、保護を受けながら自由に生きなさい

というのが聖三位のおっしゃりたいことだった。

存在の法を知らなければ生きられないから、まずは御言葉をしっかり学ぶことは必須だ。

 

その法の中で生きることを前提に、与えられた個性の通りに聖三位をお迎えし

自由に生きるところ。

これが摂理という世界なのだ。

投稿者プロフィール

saku
大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
好きなことは食べることとパッケージ裏の成分チェック。食品と、最近は化粧品も見ます☆
サイト管理人です。リクエスト等お気軽にどうぞ(^-^)
@sukusukunokumo

摂理は「進路の自由を制限するところ」なのか①

不器用ママのふたり ~おたんじょうび~

サイトの著作権について

ブログにきてくださったみなさまへ^^

当サイトに掲示された絵、写真、文章、映像などの著作物一切は

信仰、教会の親睦、宣教の目的に創作され、著作権が保護されており、

本来の目的以外の用途に使用される場合は、関連法令に抵触する可能性があります。


当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用は

一切なさらないようお願いいたします m(_ _)m

PAGE TOP