摂理に来て最初は泣く泣く捨てたものが結局もっと良くなって返ってきた、という摂理メンバーの証を聞いて、ああそういえば自分もそういうものがあるなぁと思い出すようになった。
私が信仰生活を始めて間もない頃は、実は正直苦しく思ってしまったこともあった(^^;)
摂理は生活の中で聖三位を愛し共に生きる信仰〝生活″ が基本。だから、生活がそのように変化しなければならない。日曜だけ教会に行ってあとは自分の好きな通り生きてもいい、そういうわけにはいかないのである。
御言葉を聞きながら、御心の「み」の字も知らずに生きてきた今までの生活を、徐々に変えなければならなかった。
その中で、私も捨てなければいけない場面が多くあったのだ。
過去、自分が好きだった物たちを。
それはすなわち「既存の自分」を捨てる挑戦でもあった。
御言葉で神様の心に合わないと分かるものは葛藤しつつも断捨離したのだが、それは結局人生において大したものではなかったということを悟るのは少し経った後だ。
価値を悟れるまでは御言葉よりも目の前にある問題にとらわれて、「こんなに葛藤して苦しい思いをするならいっそのこと御言葉に出会わない方が良かったんじゃないか。。。」と思うこともあった。
しかし、それはまるで末期のガン患者が完治する手術に成功したのに、目の前の痛みにとらわれて「こんな痛い思いをするなら手術なんて最初からしなければ良かった」と言うのと同じだ。
その時期を乗り越えた後で考え直すと、命を救われたのになんて言い様だと思うのだが、悲しきかな人間は一寸先を考えるのが苦手、すぐ価値を忘れるのが得意、目の前の一瞬の感情に弱いのだ。
神様、過去の私の無知な言動を悔い改めますm(__)m
捨てたけど数年後もっと良くなって戻ってきたものもある。
信仰生活に慣れるまでは「時間」をうまく使えなくて、実験や勉強の時間のやりくりには非常に苦労した。
(化学の研究室では朝から晩まで実験という生活が当たり前だったから)
だから、自分は好きな化学はあきらめて、時間のやりくりのしやすさを何よりも重視して全然違う分野に就職しようと思って就活し、そのように最初の就職も決まった。
でも紆余曲折を経て、気付けば最終的には好きな化学を生かした仕事ができるようになっていた。しかも、自分で思い描いていたよりももっと理想的な仕事に恵まれたのだ。
より理想的で具体的な形になって、手元に戻ってきたということだ。
多分摂理に導かれず自分の当時の考え通りに就職をしていたら、きっとものすごい苦労しただろうと思う。
私が神様を知らない過去に投資してきたことをもすべて、神様は用いてくださるのだ。
しかも、最高の形で。
神様は何て太っ腹なんだろう。
今まで時間を投資し備えてきたものを通して聖三位に栄光を帰せるように、今私のすべてを用いてくださっていることがあまりにも感謝すべきことだ。
経緯を思い出し、従来の自分から完全に抜け出して、先生のように〝毎瞬間″ 神様を喜ばせる人生に作っていこうと決心を捧げた。
心と思いと命を尽くして☆
投稿者プロフィール
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大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
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