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私がはじめて「摂理」に来た時

摂理の御言葉を学び始めたきっかけ

摂理の御言葉に 出会ったのは

娘がまだ保育園に通っていた時です。

当時働いていた職場で 

摂理の教会に通っている方と出会い

はじめて 御言葉を聞きました。

最初は 聖書のおはなしを聞きました。

宗教にも 神様にも全く関わりなかった私。

でも なぜか抵抗感がありませんでした。

話してくれる言葉が とてもあたたかで

聞いていると 安心するのでした。

聖書のおはなしも 摂理の御言葉も

時代を超えて「本当にだいじなこと」を

私に気づかせてくれました。

「私に 本当に必要なものだ」と

何度か聞くうちに 感じました。

私を伝道してくれた人

私が伝道された時 娘は1歳でした。

私は 自分に自信がなくて

でも なんとかよくなりたくて

仕事と子育てに 必死でした。

地元・兵庫から ずっと離れた仙台で

仲がいい人が 全然いなかった私に

職場で 同じ派遣社員だった方が

声をかけてくれました。

その人が 私を伝道してくれた人です。

職場で 誰かと話すことはあっても

心の内を話せる存在は まわりになく

ずっとひとりで 踏ん張っていた私は

はじめて 自分に関心を持ってもらえて

心の緊張が ホッと 解けました。

私が少しずつ 自分の心の中のことを話すと

彼女は 自分の言葉では何も言わずに

代わりに 御言葉を教えてくれました。

私は 彼女が教えてくれる御言葉から

答えを 1つ1つ 見つけていき

そして「自分には御言葉が必要だ」と

ハッキリ 分かるようになりました。

彼女は そんな私を見てホッとしたように

まもなく 東京へ引っ越していきました。

神様と私をつなげてくれた彼女に

今も ずっと 感謝しています。

151207

私も 自分が助けられたように

誰かを助ける人になりたいです^^

子連れ主婦のはじめての礼拝

忘れもしない はじめて礼拝にいった日。

「シロちゃん 礼拝に行ってみない?」

と 伝道してくれた人から お誘いが。。

正直 すごく戸惑いました。

礼拝って シーンとして 

とても 厳粛なイメージ・・・

当時まだ2歳の娘と 子育てに自信のない私。

連れて歩くだけでヘトヘト。

泣いてもなだめることもうまくできない。

それでも 礼拝に行っていいのか?

とても ためらいました。

いっぱい 迷惑をかけると思って。

でも 聖書と御言葉で学びました。

神様は どんな人も愛してくれるんだって。

礼拝で みんなに会いたいんだって。

足りない母にも よく泣く子供にも

神様は 礼拝の席を

ちゃんと用意してくれてるんだ。

その思いが 心にとどいて 

礼拝に行く決心をしました。

主人が休日出勤の 日曜日の朝

自転車の前に ちいさな娘をのせて

何度か 礼拝に行きました。

私たちは いつも遅刻でした・・・

ちいさな教会だから 途中で入ると

とても目立ってしまうのですが

それでも 教会の人たちは

私たちを やさしく迎えてくれました。

娘が泣いて 私が色々あやしてもダメで

私も 泣きべそになっていた時

教会の人たちが 娘をあやしてくれました。

「シロさんは 御言葉に集中してね」

その方にとっても 貴重な礼拝の時間なのに

娘のため 私のために 使ってくれました。

申し訳なさで 最初は集中できなかったですが

「御言葉に集中することが 一番の恩返しだ

 とにかく 御言葉を聞こう」 

そう思って 御言葉に集中しました。

みんな 礼拝中は 携帯をしまっているのに

私は いつも片手に 携帯を持っていました。

一度 携帯を見ずに 礼拝にいた時

主人から連絡あったのに気づかなくて

あとで 大変なことになりました。

たとえ礼拝中でも 家庭や仕事の事情で

携帯を手放せないことがあります。

連絡が来たら 御言葉の途中でも

帰らなければいけない時もあります。

出たり入ったり みんなに迷惑をかけて

最後までいれないことが 申し訳なくて

涙を流したことも たくさんあります。

でも みんな 迷惑な顔ひとつせず

「また礼拝に来れるといいですね」と

笑顔で 言ってくれました。

「あの時」の必死さ 

「あの時」の温もり

助けてもらった 1つ1つのこと

「あの時」があるから 

今もこうして 摂理にいます。

今はコロナ渦で 教会には集まらず

各自の家で 配信で礼拝をしていますが

変わらず 神様と会う時間です。

どんな人にも 席が用意されている。

それが 摂理の礼拝です^^

摂理のたいせつな仲間たち

摂理には たくさんの仲間たちがいます。

神様は 1人でなく 仲間たちと一緒に

御言葉を学べるようにしてくださいました。

 

私たちは 御言葉から 神様のことを学び

自分でお祈りして 1つ1つ悟っていきます。

でも 御言葉だけ 祈りだけでは

神様の思いを悟ることは 難しすぎます (>_<)

自分の不安・考えの癖・誤解が強いと

自分の考えが 邪魔をして

神様の声が 届かないからです。

だから神様は 1人1人のそばに

「仲間」を 置いてくれました。

だれかに 助けが必要な時

神様は ふさわしい人を選び

その人を通して話すことがあります。

私もこれまでに 摂理の仲間たちを通して

たくさん 神様の言葉をいただきました。

主人との関係で 心がずっと痛かった私に

幼い娘が 言ってくれました。

「おかあさん だいすきだよ。

おとうさんもだいすきだよ。」

ひとりひとりを愛する 神様の言葉。

自分の行いに 自信が持てない私に

教会の牧師さんが 言ってくれました。

「神様は シロさんのことを

 本当に喜んで ごらんになってますよ」

小さな愛を 心から喜んでくださる 神様の言葉。

体の不調で悩んでいる私に 

教会の方が 言ってくれました。

「自分の体でできることだけでいいんですよ」

いつも 私たちの体を心配してくださり

健康になることを願われる 神様の言葉。

娘が 牧師さんと 話をしていた時。

お父さんが カッとなって 物を投げ

ぬいぐるみの首が もげたことを

笑って話しながら 涙があふれた時。

牧師さんが 娘に 言ってくれました。

「本当に よくがんばってきたんだね」

小さな心に まだ残っている傷に

そっと手を当て 包んでくれる 神様の言葉。

どれも 1人では

聞くことができませんでした。

仲間がいることに 心から感謝します☆

「はじめて」のものは よく分からず

不安も 戸惑いもあるものですが

「はじめて」のものに感動して

そのよさを 実感して

もっと知りたくなる

「摂理」が まさにそんな存在です。

言葉えらびの大切さ

これって怪しい!?摂理おやこの信仰生活

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