「学習障害」「ADHD」など、
最近は発達障害に関するワードを頻繁に目にします。
それらの中でも、「大人の学習障害(LD)」については私もよく調べることがあります。
今はこういった定義付ける言葉があることによって、幼いうちからその兆候を見つけて対処することが可能になりました。
が、この言葉が無い時代は、そうであっても自覚なく見過ごされてきた人が多いのではないかと思います。
そして私もその一人です。
大人になってから判明して、医療機関を受診する人も増加しているようです。
発達障害についての参考記事:自覚症状のない、大人の発達障害とは
(「いしゃまち | 21世紀の家庭の医学」より抜粋。)
―学習障害(LD:Learning DisordersまたはLearning Disabilities)とは、
知的発達に関して全般的には遅れはないものの、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力を学んだり、行ったりすることに著しい困難を示す状態をいいます。
私の場合は、「話す」ことにとても困難を感じます。
頭でわかっていても、言葉にまとまらない
言葉が出てこない
単語が思いつかない
適切な文章にならない
…などがあり、日常でもどかしく感じることが多いです。
アドリブは全く利きません(^^;)
学生の時からこの自分のウィークポイントは知っていましたが、「話す」ことを必要とする勉強があまり無かったためか、特に問題が露呈することもなく過ごせてしまっていました。友達とのコミュニケーションといっても、あんまり内容のない話ばかりだったので…
人前で話さないといけない場面が増えてから、特に悩むようになりました。
どうにかしなくちゃと真剣に考えたのはこの頃です。
もくじ
―発達障害は医学的には脳機能障害の一種
―LD(学習障害)の人はASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)やADHD(注意欠如多動性障害)の傾向が”うっすら程度”しかないため一見普通に見られがちです。普通に見られる良さもありますが、普通に見られがちだからこそ、ちょっとしたミスにも周囲の目が厳しくなりがち
一生懸命やっていても、努力不足と思われてしまうのが一番辛いことでした。
「周りが当たり前にできることを、自分はなぜできないんだろう」
「なんで私ばっかり人より苦労しなきゃいけないんだろう(;_;)」
と、する必要もない比較をして苦しく思うことも。
自分ができないことそれ自体よりもむしろ
「自ら周りと比較すること」「よくできるできないの順位付けをされてしまうこと」
が、疲れ辛く思っていた根本の原因だったかもしれません。
―治すことはできないが、症状を緩和させることは出来る。
―自分の苦手感に粘り強く取り組めるかどうか
頭の中で文章がうまく作れない分、
いつしか <しゃべりたい内容を事前に書く> ようになりました。
こうすれば、いざ話す時にはただ読み上げればいいだけなので心配がなく、楽ちんなのです。
上司に相談をしたい時も、友達と話す時も、伝えたいことを事前に書いてから行きます。
このようにたくさん行って数年、話すのは相変わらず苦手ではありますが、
今では書かなくても頭の中で文を構築できるようになってきました。
そして、こんな遠回りなことをたくさんしていたおかげで、文章を書くことは得意になりました
自分の弱みは、自分の強みを開発するチャンスでもあるなと思います。
周りのよくできる人と比較して落胆しないで、自分のすべきことを行えばよいのだと、
御言葉から答えをもらいました。
そのように考えることで、自分のLDからくる辛さや痛みから徐々に解放されていきました☆
逆に、LDが無かったらブログなんてやっていなかったかもしれません。
自分の悲観的な考えが矯正され、こうしてブログを書けていること、これも本当に感謝なことです(*^-^*)
投稿者プロフィール
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大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
好きなことは食べることとパッケージ裏の成分チェック。食品と、最近は化粧品も見ます☆
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