教会のメンバーと一緒にバスで移動しているとき。
鄭明析牧師の尊敬するところはどんなところ?という話題になり、
改めて、なんだろう~と考える機会がありました。
少しのあいだ整理してみて、私は以下の3つを挙げてみました(^^)/
①常に研究されるところ
キリスト教も形式的に「ただ信じなさい」「聖書の言葉は文字通り受け入れる」の信仰をしていれば苦労はありませんが、先生はそのようになさいませんでした。
既成のキリスト教の教理に疑問を抱いて、飢えと寒さの中でもがきながら神様に尋ね、聖書を解き明かしたエピソードの通り、今もその姿勢が変わりません。
先生のすごいところは、神様の心、御心を常に追い求め研究されるところです。
―「神様の御心が止まらないから、私も止まりません。続けて次元を上げて、ただ神様の御心どおりに行います。」
②犠牲になれるところ
人のために祈るってとても難しいです。
ましてや、自分がしたことではないのに、隣人の犯した罪を代わりに悔い改めることなんてとても簡単にできることではありません。
しかし、先生は摂理のメンバーのためだけではなく、民族のため、世界のために毎日祈られます。
先生の祈りを知ると、自分の心の狭さが恥ずかしいです。大きい愛を持つこと、私の信仰の課題であります。
③権威を立てようとしないところ
世の指導者の多くは、自分の思い通りに人々を従わせるために権威を持って弾圧します。
特に宗教の指導者に対してはなおさらそのようなイメージがありました。
(マインドコントロールとか。。。)
摂理ことキリスト教福音宣教会の創立者である先生ですが、
先生が権威的に振る舞うのを私は見たことがありませんし、先輩方の話を聞いてもそのようなことはありませんでした。
先生の中心は「ただひたすら神様」です。
もし摂理が人を中心とし信者を無理やり従わせるような団体だったなら、私はとっくに脱会していたはずです。
私たちが自由意思に任せられている分、もっと御言葉の通りに熱烈に行えるよう次元を上げていきたいです。
**
話によると、このように挙げた「気に入っているところ」というのは、
実は自分自身に対しての気に入っている部分と繋がっているのだそうですΣ(・ω・ノ)ノ!
うーん、自分にはあまり当てはまらないかも?(^^;
でも、「常に研究」というところだけは、自分もそうであるという自負心が持てました☆
尊敬する師に似る者となれるよう、先生だったらこんな時どうなさるかなと
もっと生活の中で意識して過ごしてみようと思いました。
みなさんにとっての尊敬ポイント、考えてみましたか?
それは先生とみなさんの共通点であり経緯と言えるかもしれません(*^▽^*)
投稿者プロフィール
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大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
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