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摂理にいることが辛くなった時。~考えが運命を左右する

職場で、憧れの先輩がいます。

その方は子育てもしながら仕事もバリバリこなすキャリアウーマン。いつもハキハキ明るくて、チームメンバーのことを誰よりも関心持って親身になってくださる姿を見ながら、こういう素敵な女性になりたいな、と思っていました。

そんな先輩が私くらいの歳の時には、どんなことを考えて過ごしていたのかな?

気になったので、1対1でランチをした時に聞いてみました。

 

「sakuちゃんくらいの歳のときかぁ~、

う~ん、病んでたかな。

 

えー!!((;゜Д゜)))

今の姿からは想像できないです!!と驚いていたら、笑いながらその時のことを話してくださいました。

 

仕事がうまくいかなくて、とても悩んだ時期だったそうです。でも、当時はチームという体制もなく一人一人に仕事が割り振られ、助け合う雰囲気もなく、仕事の責任を一人で負わなければならない、そんな状況だったそうです。

上司は上に上がれ上がれと期待してくれた。けれども、自分を追い詰めてしまっていた、と。それがストレスになって過呼吸が出るほど…(T-T)

 

「…でもね、その上司のことは嫌いじゃなかった。むしろ尊敬してた。だからこそ、期待に応えようと頑張っちゃって。

私、これは絶対こうあるべきって、こだわりがすごい強い人だったから…。それが自分を締め付けてたんだよね。

自分の思考のクセを治すことに、すごく苦労した時期だったなぁ。」

 

いつも輝いている先輩にそんな時期があったなんて…。

私が悩んでる時にいつも駆けつけてくれるのは、先輩自身が大変な時期を経験されたから、痛みが分かるからこそだったんだ、と気付いた。

 

軽率な質問で辛い過去を思い出させてしまってごめんなさい…と面目ない顔をしていたら、

 

「いいのいいの!だってこんな話をしなかったら、sakuちゃんは私の強い部分しか知らなかったでしょ?(笑)

話せて、良かったよ☆」

 

はい、私も聞けて良かったです!(T-T)

 

手の届かないほど高いところにいた先輩が、何だか近くに感じられるようになりました。

というのも、

自分も責任感強めで「こうあるべき」と完璧主義的に考えてしまいがちだったから。自分の考えで自分を締め付けてしまった経験もありました。それも、摂理の中で

 

新米社会人だった当時、自分の限界にぶつかり悩んでいました。新米だから会社でも不甲斐ない自分。それに加えて、御言葉通りにうまく行えない自分。千葉の教会の同期の中では私が一番お姉さんだからと思って、事あるごとに私がやらなきゃと責任背負って頑張っていたけど、それがいつもプレッシャーでした。天の前で何一つ取り柄がない自分、摂理でも社会でも必要とされてないんじゃないか。。いなくてもいい人間なんじゃないか。。

次元を上げさせてくださる御言葉を下さる先生のことは心から尊敬している。だからこそ、それに応えられない自分にすっかり自信が無くなっていました。

 

自分は何もできないから見放されているだろう、私一人が摂理を出たところで誰も悲しまないし分からないだろう…

俗に言う脱会とまではいかなくても、そんな瀬戸際の考えをしていました。

 

教会では、こんなみっともない心の内側を知られたくないから元気に振る舞っていました。でも、家ではいつも泣いていました。そうして、仕事に行けばまた出来の悪い自分を目の当たりにしなければならない。

誰にも相談できずにいて遂にはストレスで体調を崩し、産業医の方には心療内科に行きなさいと紹介状を渡されるほど、心は限界でした。

あ~あ、情けないなぁ。摂理にいることってこんなに辛いことなのかなぁ(T-T)

当時の状況の中で、こんな風に思ってしまっていました。

 

紹介状をもらってしまったので心療内科にも行きました。診断名は「適応障害」。少し休んだ方が良いと言われ、会社の制度をうまく使って、わずかながら休暇を取ることもできました。

その回復の期間で結局私を救ってくれたのは、精神安定剤よりもやっぱり先生の御言葉でした。

 

まず、私の心を地獄にしていた、間違った「考え」を矯正するようになさいました。

 

悪い方に凝り固まった脳をほぐしなさい。

諦めず最後までやればできる。体質を作ろう。

 

先生は高いところでただ私が上ってくるのを待ってる、そういう方ではありませんでした。御言葉を通して、手を取り、一緒に行ってくださいます。責任を負ってくださいます。そんな先生に対して、いつからかまるで上司かのように接してしまっていたのでした。

 

そして、神様は「何かがうまくできるから」愛してくださるのではありません。

功績を立てているかとか、祈りの時間がどれだけとか、人間が互いに比較したところで全知全能の神様の前ではどんぐりの背比べです。

神様の愛は無償の愛。だけども、成果主義の世の中で育って脳が固まってしまった私は、その偉大な愛を真の意味で分かっていなかったのです。

 

心が崩れてしまったのは、完全にうまくやらなくちゃ、できなければ全部ダメ、と自分が自分を追い詰めていたことと、無条件「自分が神様に愛されている」という核が無かったためだったことが分かりました。

 

だから、思考のクセを矯正するために

「自分はダメだ、何もできない」という考えをやめ、

「自分は神様に愛されている」というのを、繰り返し考えてひたすら脳の体質にする、数ヶ月間そのようにして過ごしました。

(摂理でマインドコントロールがあるとしたら、こういうものだと思います。御言葉によって、自分が自分で良い考えに制御していくこと。人の心を操ることなんてありえません。摂理は自由な人ばかりなのでそんなことやろうとしても無理だと思います。笑)

 

こうして悪い考えを肯定的な考えで矯正したことで辛く思う心から徐々に抜け出して、正しい考えで天の前に立つことができるようになりました。

 

辛いときはいつも摂理のせいではなく、自分の間違った悪い思考のせいでした。

自分の考えと神様の考えが異なるとき、辛いのです。

しかし辛いときこそ祈り願い求めて、一層神様と近くするチャンスです。神様の願われるべきことを知ろうとすることで、結局答えを得て困難を乗り越えることができます。

私は自分の考えが強すぎて、これくらい極的な状況にならないと、神様と考えを一体にするのが難しかったのだと思います(^-^;)一連の困難を経験したことで、クセになっていた思考を治すことができたから本当に感謝しています。後になればなるほど、考えは固まってしまって治しにくくなっていたでしょうから。

 

しかしこんな会社で起こしがちなストレスを摂理でも持ってしまったこと、自分の間違っていた観を悔い改めました。

摂理は会社の組織とは違います。摂理には上下関係はありません。指導者、牧師、導く立場の人はいるけど、みんな神様の前で自分を作る過程にいる人たち。みんな神様の前では互いに対等、フラットな関係です。

互いに比較したり競争することも、指導者を中心にすることも、神様から見たら悪い考えです。一人一人が、神様の前で貴重な宝のような人だから。自分一人をここまで思ってくれるところは他にありません。

会社的な思考のせいでストレスを溜めやすい人、日本人にはもしかしたら多いのかもしれません。

 

困難は、神様と一対一の関係を見直してみるチャンス。

神様の考えと自分の考えのズレ、それを一体にさせるチャンス。

克服する過程で、より良く変化した自分という祝福を得るチャンスです。

 

もし摂理で辛いと思っている人がいたら。憂い心配する考えでなく、先生の精神で肯定的な考えを持って、神様の愛の懐の中で癒されることを願います。

 

ぶっちゃけ摂理が辛いと思ってしまってた過去も、今となっては笑い飛ばすネタのように話せるようになりました(*´ω`*)

神様、私はちょっとスパルタに教育してもらったから(笑)痛みを分かって支えてあげられるお姉さんになりたいと思いました。憧れの先輩が私にそのようにしてくれたように。

何より、先生が私の根本を救ってくれたように。

 

―万事すべてのことも「考えること」次第で、天国にもなり、地獄にもなる。

 

<絶対者神様の考え>と同じく考えなさい。そうすれば「いつも喜び、感謝、希望、愛」だ。

鄭明析牧師の明け方の御言葉より

 

 

投稿者プロフィール

saku
大学生の時に摂理に出会い、現在は夫と子供たち(5歳3歳)と4人暮らし。
子育てしながら縁あって地元の群馬県に転職、地元企業への技術支援の仕事をしています。
好きなことは食べることとパッケージ裏の成分チェック。食品と、最近は化粧品も見ます☆
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