職場でのランチ中に、いろいろあって聖書の話題になり
彼らの話はまだまだつづく。
ケース②
ぶっとんでるなって思う。ありえない(ことが書かれている)。
聖書の話はいくつか知っているけど、これまた「ぶっとんでる本」扱い。
ちなみに「ぶっとんでる」とは、「科学・人間の理解領域とかけ離れている」ということだ。
確かに、聖書を文字通りに読むと、摩訶不思議な奇跡が書かれた本のように映るだろう。
私も学ぶ前は非現実的・空想的な本として認識していたし、
ただ無条件聖書の言葉を信じなさい、そうすれば救われる的な一部のキリスト教徒の主張は
議論と考察を放棄しているようで何だか都合がよすぎるし、ちょっとないわー(-.-)と思っていた。
しかし実際は、聖書は比喩で書かれていて神様の歴史上の事実が書かれていることを鄭明析牧師は説いてくださり、
私の聖書に対する様々な疑問が解けたのだった。
誰よりも鄭明析牧師ご自身が、神様イエス様がおっしゃるその通りに生きようとする真実な心で
聖書を通して神様が本当におっしゃりたいことは何なのか疑問を持ち、
深く考え祈り、極限に研究され、また実践しながら御言葉を受けられたのである。
いくら神様の御心がしるされている聖書も、記録したのは当時の人間であるから、
当時の人間の水準の範囲内で書かれるしかない。
神様が教えてくれなければ、聖書を正確に解くことはできない。
また、この世のすべての現象は科学をもって証明できる、という認識も
実は非現実的な認識だ。
科学では手の届かない分野は山のようにある。
人間は、人間のパーツ1つとして作れないし、細胞1つの営みさえ完璧に説明することができない。
宇宙に行くことはあっても、地球をもう一つ作ることのできる人間は一人もいない。
だから、神様が創造された万物に囲まれている私たちはある意味
「ぶっとんでるもの」に囲まれているのだけど 笑
それがあまりにも大きすぎるから信じられないだけだ。
比喩を解いて読むべきところと、神様の全知全能さを認めて読むべきところ。
鄭明析牧師の言うように、聖書は「人性」と「神性」の両側から読むべき書物なのだ。
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